それは7月12日の火曜日、急患の対応に追われ溢れる手術に追われ、帳面上ではあることになっている30分の昼食休憩という概念が光の速さで虚空へと消えて行き、いつも通りの勢いに身を任せた仕事終わり、ようやくその日初めてちゃんとした固形食を食べたと思われる夕食後に携帯の着信音一つで始まったのである。
「スクールホリデーっていつ終わるの?」
唐突に友人氏から届いたそのメッセージは、前後の文脈が皆無の怪文書めいた内容であった。
「今週終わってません?」
「そうなのか。終わったなら内陸行けるかなー」
どうやら学校の冬休みが終わっているならキャンプに赴いても人でごった返していることはないから内陸にでも行くか、といったような内容であるらしい。この人はいつだって前触れもなく唐突に物事が始まるし、逆に唐突に物事に巻き込んでも乗ってくるのである。
「ワイ氏に唯一時間があるとすれば今週末なんですが」
「行くかー」
「行きましょうか!」
かくして内陸へのキャンプ旅は出発まで60時間というタイミングで予定が立ち始めた。
7月のオーストラリアは冬である。この時期になると普段は内陸の奥で生活しているオカメインコやセキセイインコが北上してくるため、ケアンズを出て内陸をグルッと一周しながらテントを張り、3泊4日ほどで旅をしながら鳥でも探そうじゃないか、そんな雑な立案が旅立ちおよそ59時間50分前に唐突に決まったのである。
尚、道中には前回その寒さに打ちのめされた悪夢の地Corfieldがその雄々しい姿で立ち塞がっており、我々は出発前から「寒さ対策だけは万全にしていこう」という、普段では余り見られない予備的動作・予備的思考が見られたのである。
7月15日(1日目)
初日は金曜日だがCairns show dayと呼ばれるローカルの祭日につき祝日。この日はGeorgetownの偵察に行くだけなので朝の08:30からノンビリとスタート。Georgetownには何度も行っているので特筆することも無い「いつもの道中」と化している。
そして大体8‐9時辺りからゆるゆると出発すると、Ravenshoeに到着するのが11時頃になり、絶妙な具合に「車中の暇」と「空腹感」がミックスされた結果、ここでとりあえずチップスを食うというのが我々のいつもの流れとなっているわけです。
前まではWedgesがあったのだがコロナの影響なのか他の理由なのか、ここ最近は普通のフライドポテトしか売っていないのである。悲しい。ここのWedges美味しかったのに。それでも普段通りにカウンターでポテトをオーダーして、奥のトイレに行ってからそこらで売ってる雑貨に「どういう需要なんだ」「なんだこの謎商品は」などと鋭利なツッコミを入れていると、カウンターのオバちゃんが揚げたて熱々のチップスを手渡してくれるのだ。
この旅の運転手は基本的に若手()である自分である。バーガーを片手に、隣に置かれたチップスをつまみつつ、車はひたすらに西へとひた走る。こうした道中で綺麗な景色とかは期待していないので、我々としてはひたすらに「なんか道端に飛び出してこないかな」という期待ばかりをしているのであるが、残念ながら今回の道中ではこれといった爬虫類や哺乳類が飛び出してくることはなく、幾何のワラビーの轢死体をスルーするだけに終わってしまった。
Georgetownに到着。我々の宿泊地は町から更に数十キロほど西に向かったところにあるのだが、この町に着いたら必ずやらなくてはいけないことが肉屋にご挨拶することである。ここの肉屋は「肉フックに吊られたお肉が出てくる」「店主のヒゲが格好いい」という2点においてとても魅力的なのだ。
「何が欲しいんだ」
「どうしよう。フィレとか行っちゃう?」
「うーん、ランプとかで良いんじゃないですかね」
「ランプか、どれくらいの厚さだ」
「どう説明すればいいんだ」
「ステーキサイズで2人分に分けてもらおう」
無事にお肉を手に入れたらGeorgetownの町を過ぎて「いつもの水場」へ。トイレが常設されているここは色々な旅人達が無料でキャンプしている場所なのだが、なんということでしょう、現場に14:00頃には到着したにも関わらず辺りにはキャラバンカーが沢山止まっているじゃないですか…
なんとか空いている土地の自治権を主張し、ピカピカのキャラバンカーに囲まれる形でちっさなテント村を設営するのである。
まだ日も高い午後2時からピカピカのキャラバンカーに囲まれていると、お前ら本当に旅する気あるのかと問い詰めたい。我々は良いんですよ、水場にどんな鳥が来るのかを偵察するために目的をもってここに来てるんですから。君達はさ、これといった「設営」みたいな作業も無いのになぜ我々よりも遥かに早くから根を張って椅子出して本を読んでいるのかと。
設営も終わって周囲を見回しているとやはりデカめのカメラを持った初老の男女が2人、草木をかき分けて歩いてきた。すると茂みからバサバサッ!とインコの飛び出す姿が。そちらに見向きもしないで先へ進むカメラ2人組。あそこまで野生動物の動きに気を取られず、それでいてカメラを所持している彼らは一体何を撮りにきたのであろうか…望遠装備だったしマクロレンズ持ってなかったから昆虫勢でもないよなぁ…
2人が消えると再びハゴロモインコが茂みに降り立って採食。続いてホオアオサメクサインコが2羽で降りてきて採食。めっちゃもさもさ食いまくってた。大食漢。
我々もお食事にするために薪木を拾い集めてくる。近場の木は焼き尽くされているので涸沢の奥に入って行くと昔の増水で流されてきたのであろう枯木が沢山見つかるのでそちらを拝借し、ちょいちょいと組み上げて、焚き付けは道中で買ったチップスの紙箱を使用。
肉屋で買ってきた肉を網で焼けば、そこには平和と幸福が具現化されるのである。ユーカリの枯木で良い感じにスモークされつつ炙られたステーキは最強。『キャンプとは手段であって目的ではない』と常日頃から言っている我々ですが、もう最近ではこの肉を焼くという部分に関しては完全に目標と化してしまってきているので、果たして上記の言葉を信念強く言えるのかどうか、自分の中ではなかなか揺らいでいる。
飯を食い終わるころにはじわりじわりと赤色が紫色に浸食され、辺りは暗くなっていく。周りのキャラバンが天井の蛍光灯を煌々と照らし、冷蔵庫を開けてディナーの準備を始める傍らで、我々テント族はいそいそと歯を磨き厚着をして寝袋を広げ、やれ今夜はあまり冷えなさそうだだの、やれ朝露はいやだだのと言葉を漏らしつつ、消えゆく大空の灯りを頼りにいそいそと各々のテントに身を潜らせ、キャラバンの談笑の奥に聞こえるアオバネワライカワセミのせせら笑いに耳を傾け夜の寒さに怯えながら20時には就寝する健康民族と半ば強制的に変貌するのである。