とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

僕と英語と、移住と学校。④

 

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Chapter 4 - Culture and Values

ワライカセミの嘲笑いが朝の寒さと共に、疲労しきった身体の骨の芯にこだました。

深い霧が不気味に未だ薄暗い森を覆い、ユーカリの木が亡霊のようにたたずむ。

テントから這い出ると朝露に濡れた靴を躊躇無く履きその亡霊へと歩み寄る。

チャックを下ろし、ぬかるんだ地面をさらに湿らす。快適である。

川のせせらぎは不気味な雰囲気の森にやすらかな音色を響かせ続けていた。

川岸を小さな影が横切り、すぐに対岸の闇へと姿をくらます。オポッサムだろうか。

刹那、突如東の山から太陽がこちらを覗き見、カーテンを開けたかのように霧は晴れる。

弧を描く小便は光を反射し、キラキラと輝く朝を演出した―――


――― 

 

QLD州の学校では、9月の頭に全国試験のようなものがある。

QCSテストと呼ばれるこれは12年生全員が受けなければならないものであり、このテストの成績は後に得るOP、個人成績に繋がる非常に大切な試験だ。この間は最終成績を目前にした12年生にとっては一番大事な、いわば受験期間。その大事な時期を目前に、学校は12年生がテストに集中しやすい環境づくりを心がける。

つまりは12年生以外の生徒を学校から排除するのである。

 

これは10年生である僕も例外ではなく、9月の初めは学校のキャンプに行く。修学旅行という名目で学生達を学校から追い払い、静かに試験を受けられる環境を作るのだ。

学校のキャンプ自体はさすがに慣れていた。

7年生の修学旅行は地獄の5日間ではあったが、8年生、9年生と毎年修学旅行には行く。ロッジに赴き、ロッククライミングやアーチェリー、オリエンテーションを楽しむ、そんな「キャンプ」は何度も経験してきたことである。

 

が、今回のそれは少し違っていた。

今までは学年全員がモーテルやロッジに泊まり、バスで送迎され出てきた飯を食い、決められた行事を楽しむ、そんな修学「旅行」であった。しかし、この学校での10年生のキャンプは本当の「キャンプ」なのだ。

いや、サバイバルと言い換えた方が良いであろうか。

その過酷さは過去に経験したことがある生徒達からの噂で、全校生徒はおろか保護者達にも有名である。

 

内容は至って簡単である。

出発地点からゴール地点までを、テントや食料、衣類、水を背負って山中を歩くのだ。生徒9人に対して、若くて体力のある教師が一人つく小隊で行動するこのキャンプは、何から何まで生徒が自分達で判断し、自分達でプランを練り、自分達で生き延びなければならない。ついてくる教師はあくまで監視と緊急時の対応を担うだけであり、学生達だけで地図とコンパスを頼りに、道が存在しない山の中を掻き分けて進む。ペース配分も野営地の場所も、水の確保場所も迂回ルートも、全ては学生達で話し合い決めていく。

修学旅行とは学校以外の場で学ぶ旅だが、オーストラリアのそれは勉学を重視しない。キャンプで学ぶものは教科書やインターネットには載っていないもの。チームワーク、サバイバル術、リーダーシップの取り方、臨機応変な対応術。それらを凝縮したイベントが、この10年生のサバイバルキャンプだった。

 

しかしそこは学校、無理強いはしない。

10年生のキャンプは宿泊数を選べる選択式なのだ。選べるコースは3種類。

一つ目はトラッキングコースを歩き最終到達地のコテージまで行き、そこで2泊3日暮らすだけのコース。
二つ目は最終目的地のロッジこそ同じだが、少し迂回して湖を目指すルートが追加されたキャンプ1泊とロッジ2泊のコース。
そして三つ目は道のない山を2つ越え、最終目的地のキャンプ場を目指すキャンプ4泊の過酷なコース。

 

体力に自信がない生徒、文明から離れた生活が苦手な生徒は皆が一つ目に集中する。このコースは平らな道を歩くだけであり冷蔵庫のあるコテージでステーキを食しシャワーを浴びられるからだ。進学校ということもあってか、このコースを選ぶ生徒は多い。

僕の周りにいた友達で、勉強ができる奴らも多くがこのコースを選んでいた。

だが僕は、チームに誘われても頑なに一つ目のコースに行くことを拒んだ。その根源にあるものは『ガリ勉』になりたくないという気持ちだろうか。

否、単純にこのキャンプが非常に楽しみだっただけであろう。

選んだのは4泊5日、一番過酷な名物サバイバルコースである。物心がついた頃からキャンプに慣れ親しみ、小学2年生の頃に「特技を挙げろ」と言われれば火起こしと答えていた僕にしてみれば、この4泊5日のコースはむしろ憧れの旅に聞こえる。

仲間は理科で一緒のクラスメイト達で構成された。

屈強なオージーの男子が4人、女子が3人、そして僕と何故かジョッシュがついてきた。他のグループを見ても4泊5日コースにアジア人はことごとくいない。ちょくちょくと紛れているアジア人はどれもが豪州で生まれ育ったやつばかりだった。

 

キャンプ始まる2週間前、担当の男性体育教師とチームでブリーフィングが開かれた。
持ち物の確認や野営器具の割り当て、チームリーダーの割り当て、最低限のルールなどの確認。

「もしも誰かが足を滑らせて骨を折ったら無線で救急ヘリを呼ぶから安心しろ」

教師の放ったその台詞を、僕は日本人ではなくオージーの感覚で聞いていた。


キャンプに備えてバックパックを新調した。

容量120Lの、大人向けの本格的なトレッキング・バックパックである。フィリピンやアフリカ、西オーストラリアを旅していた頃はまだ小学生だった。バックパックを背負っていたのは母であり、僕自身は非力で何も持てなかった時代である。だが、いまならこのバックパックを背負って一人で立てるのだ。その巨大なバックパックを手に、成長によって得た力と自由が嬉しかった。

 

 

一日目の最初の1時間はどうということはなかった。

慎重に詰めたバックパックの重さは20kg近くになっていたが、それでも平たく固められた道路を歩くのには問題がない。しかし車が通れるこの道は唐突に別れを告げ、目の前にはいきなり山が聳え立つ。

オーストラリアには珍しい、水が豊かな山に生える木々はうっそうと生い茂り、日中にも関わらず薄暗い獣道を覗かせていた。

一歩山へと踏み込み、本格的な山歩きが開始となるその時。

両足には絶望的な重みが圧し掛かってきた。

傾斜は大したことがないし、1時間前の疲労も溜まっていない。だが、背中のバックパックに詰めた5日分の命の質量は重力と共に、容赦なく地球の脅威を具現化する。20kgを平らな道路で背負うのと、足場の悪い山道の傾斜で背負うのではわけが違っていた。

初日の冒頭から体験する、命の重み。

その重みは命の尊さではなく、物理的な重みだった。

普段は蛇口を捻るだけで出てくる水が、このバックパックには6L入っている。一日に最低2Lの水を消費する人間にとっては命の次に大切な水の重さは、コップに注いで飲むときには考えられない重さだった。

水は人に希望と絶望をもたらす。

 

楽しいとか空気が美味しいとか、そんな生易しい感覚は暗い笑みを浮かべる森の前に投げ捨てざるを得ない。頼れるのは自身の体力と気合いだけ。次の一歩を踏み出すことだけに集中して、気合いで身体を前に押し出す。

一歩踏み出し、体重を預け、一歩を踏み出し、体重を預け・・・

単純なプロセスでも脳で反芻しながら行なわなければ、身体のほうが勝手に止まりそうだ。頭上では僕達を嘲笑う鳥たちの声がグルグルと周っていた。

 

倒木を見つけたところでチームリーダーが休憩の指示を出す。

皆が一斉に倒れこみ、減り続けていた口数が再度増え始めると鳥達は嘲笑うことをやめた。バックパックを下ろすと、まるで足がもう一本生えたかのような感覚に陥る。身体が軽い、足が強い。

その感覚も倒木に腰をかければ霧のように消え、疲労感が身体と心に襲い掛かった。バックパックから水筒を取り出し、喉の渇きを潤す。

友人のショーンが差し出したチョコレートを口に含むと疲労感が消し飛んだ。その糖が腸に達し吸収され始めれば、またバックパックを背負い今日の野営地を目指す。

 

地図上で定めた野営地は三千里先にあるように感じられた。

時速2kmの期待値で割り出していた場所を目指し続けるも、気づけば西の空に太陽が帰り始めていた。皆疲れきっていたが、休憩を挟んでいる暇はない。辺り一面、文明が皆無なこの場所での日没は、黒よりも深い暗闇の訪れを意味しているからだ。

澄んだ空は真っ赤に燃え上がり、やがて炭化が始まるかのように静々と黒色の割合が増していく。

木々が生い茂る山の中では風前の灯である夕空の光も十分に届かず、焦点が合わなくなり始めた。夕方を越えて夜の始まりに差し掛かった頃、ようやく野営地に到着して急いでテントを設営する。

懐中電灯の光さえ飲み込む暗闇の中ではろくに設営場所の確認もできない。

皆が疲れきりそして腹を空かせていたので、寝床の確保は適当に行なわれた。

 

テントを設営すれば、次は食事である。

無論、ここでも蛇口も無ければコンロもないし、洗い物をする水もない。食料の軽量化を測るため、主食は即席麺やドライライスなど、お湯で作れるものばかりだ。

お湯を使用する料理に、バックパックに詰まっている安全な水を使うのがおしい。近くに川があると地図は示しているので、ショーンと共に懐中電灯を片手に水を確保しに行く。

しばらく歩くと闇に隠れた水場に気づかず片足を踏み込んでしまった。太陽光を浴びない泥水の冷気が、右足のかかとから小指の先まで容赦なく包み込んだ。

初日にして靴をやられた。替えの靴はもう一足しかない。

靴は残念だったが、それでも水場を見つけられたのは大きい。水深は浅かったが上澄みの水を鍋に汲み、野営地へと引き返した。

汲んできた水を沸かし、即席麺を放り込む。野菜も肉も存在しない森の中で、それでもしかし即席麺がはらわたに染み渡る。

と、懐中電灯で食していた鍋の中を照らすと、入れていないはずの具材がそこには入っていた。1cmほどの細長くて黒っぽいもの。指で摘まみあげてよく観察してみると、それは沸騰したお湯で死に絶えたボウフラの死骸ではないか。

どうやら水場には大量のボウフラが泳いでいたらしい。鍋には20を越える「具材」があった。ボウフらぁ麺だなと脳内で笑いつつ、貴重なタンパク源として食してしまう。必死に背負っていた食料、靴を犠牲にして汲んできた水。作り直すだとか捨てるだとか、そんな感覚は微塵も感じられない。

 

時間は夜の9時ぐらいだろうか。

普段ならまだ覚醒しているであろう時間帯でも、上下左右が解らず酔いそうになってしまう闇に囲まれた世界ではどうしようもない。6人テントに潜り込み、真ん中に寝袋を広げる。マットはかさ張るので持ってきていない。

テントを設営した場所には大量の石が埋まっていたらしく寝床は猛反発ベッド状態であったが、それでも疲労しきった身体を休めるのには1分とかからなかった。

 


―――

 


朝日を帯びた小便から始まった2日目の朝、まず目にしたのは水場だった。

昨日の夜にボウフラを汲んできた水場は川ではなく、川の隣りにできた水溜りだったのだ。暗闇で視界が利かなかったが、隣りに流れる川の音で気づかなかったらしい。

水溜りを泳ぐボウフラ達は別れを告げるかのようにその身体をピクピクと振るっていた。

 

昨日の教訓を活かして、二日目は早めの出発になった。

テントを畳んでいる時からすでに身体中の筋肉が悲鳴を上げていたが、それでも朝日を拝むと自然とやる気が出てくる。

テントなどは部品ごとに男子が運び女子は免除になっているが、これが地味に重たい。しかしテントもまた生き残るためには必須の道具、背に腹は変えられないのだ。

身体の疲労は抜け切っていなかったが、それでも身体はなんとかついてきた。缶詰の昼飯を食し、チョコレートで糖分を確保しながら黙々と歩き続ける。昨日のペースから野営地の再設置をした今日の総距離は、このキャンプで一番短い。

朝の7時に出発した僕達は、途中で休憩を挟みつつも午後の3時には目的地に到着してしまった。本来ならばまだ距離を稼げる時間だが、本日のチームリーダーはここでの野営を決定した。川の支流に面しているこの場所は、飲み水の確保ができる最後の場所だったからである。この先にはもう川がなくなり山ばかりになるので、明日の朝に持てるだけの水を確保したい。

早々にテントを設営してしまい、時間が余ったので男子も女子も教師も皆が川に飛び込んだ。水温は20度を下回っているであろうその清流は、歩き疲れて火照った身体を一瞬で冷却する。

倒木に立ちお互いを川に落とし合う16歳達の姿を、高いユーカリからつがいのキバタンが興味深く眺めていた。

 


この水の確保判断は必要がないものなってしまう。

三日目の朝は太陽を反射する小便では始まってくれなかった。

シトシトとまるで止みそうにない冷たい雨音がテントを叩く音で目覚める朝は憂鬱だ。

キャンプにおいての一番の敵が雨である。真水の確保が難しい場合の雨はありがたいものがあるが、山歩きをする場合にはデメリットが大きすぎる。防水ジャケットを着こんで茂みに入り小便をしていると、テントの両端で寝ていた二人の悲痛な叫びが雨音とまざり哀愁を増しながらこだましてくる。

どうやら寝袋がテントに接していたため、雨水が染み込み濡れてしまったらしい。そう、テントの端は一見すると、誰に蹴られることもなく頭上を人が横断しない最高の寝床。しかし僕はあえてテントの真ん中、一番人の出入りが多くうるさい、隣りの奴らが寝返りで殴りかかってくるこのスペースを率先して選んだ。理由は雨に対する警戒だったのだ。

テント端に触れるなと忠告はしておいたにも関わらず、やはりこうなったか。乾いた寝具が無くなる厳しさは熟知していた。

 

雨天でも歩みを止めるわけにはいかない。

最終目的地には明日までに到着する必要があり、昨日は距離を抑えたので三日目はこのキャンプの中でも一番歩く必要があるのだ。空いたペットボトルにいっぱいの水を川から汲み、荷物に詰め込む。消費した水の量だけ軽くなっていたバックパックは、またしても絶望的な重さを取り戻した。

滑る足元に細心の注意を払いながら山道を歩くのは、体力も神経も消耗して非常に疲れる。乾いた靴を温存するために初日で水に浸かった靴を履いているのも滑りやすい原因の一つだった。

と、いきなり前を歩いていた女子が転倒し、巻き添えを食らった。水を吸うと非常に重くなるジーンズだが、転倒時にはただただ心強く、転んだところで怪我はなかった。山中では切り傷一つでも感染症を起こせば重症に成り得るので油断はできない。

 

この日のルートは長いだけではなく、過酷な道のりだった。

手を差し伸べあって崖を越え、ロープをかけて傾斜30度の濡れた岩場を登る。チームリーダーが地図で確認する限り、この方法を取らないと迂回するだけで半日かかるらしい。誰も文句を言うこともなく、リーダーの言うことを信頼して励ましあいながら難関を乗り越えていく。

足だけではなく腕力までもが削られる過酷な道のりだったが、それでも身体は普段よりも軽く感じられる。食料がある程度減っているのも理由の一つだが、一番大きなファクターは自身の身体が旅に順応したことであろうか。

距離があったので目的の野営地への到着はまたしても日暮れ近くになってしまったが、3日目になるとテントの設営や食事準備の効率も上がっており初日とは比べ物にならないほど充実した夜を過ごせた。

成長は個人だけではなく、チーム全体に起きている。

 

 

四日目も小雨が降りしきる朝を迎えたが、気分は軽くなってくる。

この日の目的地は最終目的地でもあるキャンプ場だ。今日を歩ききれば、ノルマ達成ということになる。夜の間に外に出しておいた鍋内の雨水で歯を磨き、ついでに朝のコーヒーを作り気合いを入れなおす。

テントを畳み、山道をしばらく歩くと別のグループ達に遭遇した。久しぶりに見るチーム以外の人、所持品以外の人工物。友人達との再会は懐かしい雰囲気ではあるが、同時に共に暮らしてきた自然との別れを意味するようで寂しい気持ちにもなる。

 

寂しさなどは人の身勝手で吹き飛んでしまうものだ。

目的地のキャンプサイトは一面が芝生で覆われていた。平たい場所にテントが張れる、石のない地で横になれる。さらにバーベキューコンロから水洗トイレ、水道まで完備されているではないか。文明の利器のありがたみは今までも幾度と無く感じ取ってきたが、この感覚に慣れはこない。

 

しかし文明の利器はときに人を変えてしまう。

キャンプサイトには簡潔なシャワールームもついていたのだ。コイン式を投入するとお湯が出るらしく、4日間もの間ずっと汗と泥にまみれてきた子供達が硬貨をめぐって騒ぎ始めたのである。

そんな彼らを尻目に僕は一人、テントに潜りバックパックから着替えを取り出した。雨が降っていたため今まで温存しておいた、洗剤の香りがする乾いた下着にシャツとズボンだ。雨に濡れ泥で汚れた服を脱ぎ捨て、綺麗な服に着替えればもう満足。

 

乾いた服でくつろいでいると、チームメイトであり友人のショーンが入ってきた。

「何してんだ?みんなシャワーを浴びようと必死だぜ!」

ショーンは少し皮肉を混ぜた陽気な口調で訊ねてくる。オージーの中でも特にオージーの性格が出ている彼は、雨に降られ泥にまみれてもポジティブでいられるのだ。

シャワーなどという予想もしていなかった幸せを血眼になって追いかけることに興味はない。たとえ小さくとも、手元にある幸せを堪能するほうが懸命なことだってあるはずだ。

「乾いた服と平たい地面があれば幸せだからなぁ」

そう呟くと、ショーンはガハハと周り中に響き渡る声で笑い出し、拳を突き出してきた。

「お前のそういうところ好きだわ!」

「うっせーお前だってシャワーも浴びずに笑ってられるくせによ!」

突き出された拳に拳をぶつける。

 

ショーンとの絆が深まったと共に、オージーに近づけた気がした。

芽生え始めていたポジティブ思考が完全に根付いた瞬間だった。

 

 

Chapter 5へ続く>>

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