とある獣医の豪州生活Ⅱ

豪州に暮らす獣医師のちょっと非日常を超不定期に綴るブログ

とある獣医の豪州生活Ⅱ

獣医師と自殺について

先日ツイッターこんな記事が一部界隈で少しばかり話題になってるのを目撃したので、ブログに対する重い腰を上げてオーストラリアの獣医師界隈における自殺問題について書いてみようと思います。 

 

 

 

オーストラリアにおける獣医師の自殺率は、平均自殺率の3.8~4倍という調査結果があり、とび抜けて高い数値を叩き出しております。医者や薬剤師等、似た職種の自殺率が平均の2倍に収まっているので、頭一つ抜き出ているわけです。

日本の教育方針がどうかは知りませんが、オーストラリアの獣医大では1年生の時に真っ先に学ぶのがこの自殺問題についてです。明るい未来を夢見る若人達に初っ端から現実問題を渾身のストレートで投げつけるのが通例となっており、後述する「Help Line」の電話番号を自身の携帯に半強制的に登録させられます。

 

以下、豪州の獣医師における自殺率の高さの原因について考察していきます。

 

獣医のストレス

労働時間における疲弊とストレス

まぁメジャーどころですね。どの職種にも存在する自殺の引き金です。オーストラリアの労働基準法では正社員の労働時間は週38時間ですが、獣医療現場では残業は日常茶飯事なのはご存知。やれ緊急オペだの、やれ入院患畜が調子崩しただの、やれ書き終わってないカルテ積もって来ただの、基本的には定時ピッタリに上がれない仕事です。

更に獣医師という職種ではOn-call、つまり急患対応の当直を日中も働いている獣医が兼任する場合がほとんどです。大きな病院だったり緊急病棟であれば夜担当の獣医さんが夜だけやってくれる場所もありますが、田舎であったり小さな病院であればそこで働く数人の獣医がそれぞれ各夜や週末を担当します。

場合によってはこれがかなりキツくて、朝から夕方まで普通の診察、夜に数件の急患対応、睡眠時間ほぼ無しで翌日またいつも通りの診察、帰り際に緊急オペ、みたいな流れに巻き込まれるとゴリゴリと体力・精神を削られます。

週60時間が当たり前と語る獣医も非常に多く、これは豪州基準としては超ブラックです。酷い環境だと田舎町に獣医一人、週7日労働&当直週7日みたいな世界もあるとか。そりゃ死ぬって。

 

家庭内におけるストレス

上記した部分に繋がるのが家庭内ストレスの上昇。

獣医ってのは結構ころころ帰宅時間が変わりますし、それこそ当直なんてやってたら風呂入っていようが旅行のプランを立てていようが子供とゲームしていようが、電話がかかってきたらプライベートの時間はオシマイ。フレンチでコース料理のディナー?無理です当直ですもの。ダブルベッドで仲良く就寝?夜の2時に急患の電話かかってきますけど?

これで家庭内の軋轢がジワジワ溜まっていくという話、よく聴きます。パートナーが医療系の方は覚悟してあげてくださいマジで。

 

金銭的なストレス

オーストラリアの学生の多くは奨学金制度で大学を出ます。現在のところ豪州国民ならこの制度が使えて、大学費の大部分を在学中は政府が肩代わりしてくれるのです。

が、こいつが罠でして、3年で卒業できるような学科とは違い獣医学部は5~6年制。学費自体も特殊な学部なせいで他に比べて高いので、奨学金制度で獣医学部を卒業した獣医は気付かぬ間に馬鹿にならない額の借金を背負わされているわけです。

この奨学金は仕事を始めて固定給が発生すると天引きされる方式ですが、ここで新卒獣医たちは苦しめられます。何しろ学費としては医学部とたいして変わらないのに、人間の医者やエンジニア、弁護士に比べて初任給は2/3程度。その後も差は開く一方で、おおよそ獣医は平均値にして人間の医者や弁護士の半分くらいの給料しか貰えません。

一向に返せない借金と上がらない給料、溜まらない通帳の額にストレスを抱えることが特に学費が上がってる昨今では問題視されてます。若い獣医の自殺で増えてる要因はこの学費問題であるとまことしやかに囁かれているのです。

 

また、畜産界における獣医師の場合は別の意味の金銭的ストレスも多く、端的に言えば畜産農家が被るストレスが丸々そのまま獣医師のストレスにもなる点は無視できません。畜産業においてキャッシュの流れは時期に大きく影響され、家畜を出荷する時期は金銭的な余裕がありますが家畜を育てている最中は金銭的余裕が無いのが基本です。よって畜産獣医の多くはいわゆる「ツケ」を認めて後払いを許すことが多いのですが、干ばつで牧草が全滅!みたいな災害を農家が被るとこれはそのまま金銭面で獣医側の重圧にもなります。

 

共感性疲労(Compassion fatigue)

獣医師はほぼ例外なく「動物が好き」でこの仕事を目指した人種であり、その根本は「動物を助けたい、救いたい」という気持ちが支柱となってるわけです。が、現実に我々が対面する多くが極度に病気が進行してしまっていたり、心無い人間に痛めつけられ衰弱していたり、痛みに悶え苦しみ声なき悲鳴を上げる動物達。こうした動物達に同情し、共感してしまうことから鬱になったり精神的に病んでしまう獣医は後を絶ちません。

いわゆるシェルターにおける仕事で、多くの動物の安楽死を望まぬ形でやらなければならない獣医師に関してもこれ。動物を殺したくて獣医を目指す人間を自分は一人たりとも見たことがありません。望まぬ仕事でも、誰かがやらなければならなく、多くの場合はこれがストレスを積み上げていってしまう。

 

ちなみに現在の自分も「市役所のお手伝い」を担当する獣医の一人です。自分自身でこの共感性疲労には十二分に注意を払ってますが、もしも精神的にポキッとなるようなことがあれば即休暇、何なら新しい仕事を探すことも視野に入れております。

 

顧客によるイジメ、脅迫

「お金が無いので治療費が払えません」

臨床獣医をやっていてこれに似たフレーズを聞かない日は無いといっても過言ではありません。それくらいメジャーに直面する言葉で、同時にこれは(一部は故意的だが)大部分の顧客としてはあまり意図していない脅迫となります。

既述したように獣医の根本は動物を助けたいという気持ちです。しかし医療行為にはお金がかかります。慈善事業ではなくビジネスですし、人間の病院のように政府の援助や国民医療保険があるわけでもない。お金が無い人にはサービスを提供できないのは動物病院でもホストクラブでも同じなのです。

しかし一部の顧客はこの根本を何故か理解してくれず、人の良心に付け入ろうとします。「金にしか興味の無い守銭奴獣医」と罵り、「動物を愛する気持ちが無い」と自分の金銭的援助能力の無さを棚に上げて獣医師の根本精神を全面否定する。これ、言い換えれば「獣医なら無償でも治療しろ、治療しないならお前は存在価値が無い」という精神的脅迫ですよ?

実際にこの脅迫に折れて治療する獣医師もいますし、逆に存在価値が無いという方向に折れて自殺する獣医もいる。

「めんどくさい客」はどの業界にも存在しますが、獣医師界隈におけるこれは厄介で、獣医師と客の間には無実で無垢な動物が巻き込まれる形で存在し、これが数倍の力で獣医師の精神を傷めつけてくるのです。次に「お金が無いので治療費が払えません」というフレーズを聞けば、あぁ、内心ではまた私の事を守銭奴と罵ってるんだろうか、みたいに病んでいきます。怖いです。

 

勿論ですがもっとダイレクトに虐めてくる顧客も存在します。女性獣医に対する差別的な発言、若い見た目の獣医に対する軽蔑、症状の悪化を医療ミスと煽り炎上させる等々。難癖はいくらでもあります。ネット上の晒しによる苦痛も大きな問題です。

昨今では獣医師が「訴えられる」事案も増えてきてると思います。藪医者への制裁としては良い事だと思いますが、みてきた限りでは結構な割合で「良い獣医」さんが「事実無根の難癖」で訴えられるケースも多いんですよね。オーストラリアの場合、こうした事案はまず各州の獣医委員会の査定が入りますが、例え獣医師が100%勝てる自信があったとしても「訴訟」ってのは非常に大きなストレスとなり、また委員会の査定による事態の収束は場合によっては2年近くかかることもあるため長期間の不安を抱えることになります。

 

完璧主義者(Perfectionist)としてのストレス

獣医師の多くは完璧主義だと言われています。完璧主義とは要は万全を常に目指し厳しい自己評価を課し他人の評価を気にするタイプの人。例え話をすれば「テストで95点では満足できず100点を目指さないとならない人」です。基本的に職人気質の思考の持ち主で、受験戦争を勝ち残ってきた獣医師に多くなりがちなのは当たり前なんですが、これがストレスになる。

 

飼主が診断と治療の一部を拒否すれば、最善の医療が施せなかった面で苦痛を感じる。

何かしらに気付かず症状がちょっと悪化してしまえば、過度の自己批判

確率的に起こりうる合併症を自身の責任と考える。

 

そして完全主義という思考は自殺のリスクファクターと言われているわけで、そもそも医者や獣医は自殺しやすいとも言えなくはないんですが、特に獣医師の場合は対面する相手が言葉を話さない動物なので、どんな些細なことでも「あぁ私が気付いてあげられなかったから…」と、動物の代弁者であるべき獣医師自身を責める事態になりやすい面があると思います。

 

 何故自殺に至るのか

 安楽死という概念

一番冒頭の記事でも触れられていましたが、獣医療では「死」に直面するケースが多いです。これは多くの動物の命のほうが短い事もそうですが、商業目的で死を扱う仕事でもありますし、重症化してから診せに来るケースも多いため死亡率が高まる事も考えられます。そして勿論、安楽死という選択肢も、獣医をより「死」に近しい存在にしてる要因として大きいでしょう。

 

獣医にとって安楽死とは基本的には肯定的な、ポジティブな処置と言えます(例外としては健康な動物の安楽死、これは共感性疲労の原因になる)。安楽死という処置をとる状況は、対象の動物に苦痛があり、医学的・経済的・時間的に他の処置が施せない状況において、動物を苦痛から解放する不可逆的な措置という位置づけです。

言い方を変えれば、「どうしようもない状況からの肯定的な解放」として最善且つ正しい判断が安楽死である、という認識を持っていますし、その信念は揺るぎません(ここが揺るぐとそれはそれで安楽死を行うことでストレスになりますし)。

 

これが多分ですが危険極まりない信条でして、上記したストレスや精神的疲労により生まれる葛藤、つまりどっちにも転べない「どうしようもない状況」に精神が蝕まれた場合、獣医師の行きつく肯定的結論にはどうしても安楽死があるのです。これを正しいと感じ、それまで何百という命をこの判断で扱ってきた獣医は、自分という一つの命に対しても同様の措置を取りがちなのでは、と言われています。

 

実際、オーストラリアの獣医師の自殺で一番ポピュラーな方法が薬物自殺、要は安楽死用の薬を自ら静脈投与して自殺する方法です。血管に入れるカテーテルも、点滴ポンプも、安楽死用の薬も簡単に手に入ってしまいますし、苦痛無く安らかな死を遂げられるという知識も経験もあります。

ちなみに銃器自殺が次点です。これも仕事柄銃器を扱うことがあり、銃器を使った安楽死に近しいからかもしれないですね。

 

 対応策

教育

既述したように獣医という職業におけるストレス・マネジメントや自殺問題については豪州においては学生の頃から何度も学ぶことになります。「休む時は休め」が信条な国ですが、それでもこの信条を再三に渡って強調教育してくるのは学生時代こそウンザリしてましたが、実際に臨床やってみれば納得もします。

 

また、新卒獣医には様々な形でMentor(指導獣医)が割り当てられる仕組みがあり、これは大学内の教師、州の獣医委員会からの割り当て、獣医師ネットコミュニティー内での割り当て、各病院での割り当てと多岐に渡り、一人に対し数人の指導獣医が付くことも少なくないです。それこそ距離にして800km離れたところにいる獣医さんがMentorとして割り当てられて、「やぁ何でも頼ってくれよ!」なんてメールや電話がいきなりくるんですよ。

医療面での助けは就職先の先輩獣医に託されますが、Mentorの場合は精神面のサポートが主になっています。例えば就職先の病院の方針に疑問を感じた場合、その病院内の誰にも頼れない状況が生まれてもMentorには相談できる、といったシステムですね。新卒の面倒をみない院長とか時々いるので、そんな新米を助け導くコミュニティーが形成されています。精神的苦痛を支えてくれる頼れる存在なので連絡先は常に用意しておくのがいいですね(自分も未だに連絡取ればすぐ助けてくれるであろう先輩獣医師のMentorが3人います)。

 

緊急連絡先

急を有するようなうつ病や自殺願望に襲われた場合は即刻、国が支援する自殺防止ホットライン(13 11 14)に電話をすること。

豪州獣医師会(AVA)は独自の電話カウンセリングサービス(1800 337 068)を有しており、会員の獣医師に対して24時間の電話対応を行っています。必要だと判断すれば対面カウンセリングの予定を組んだり、動物病院に直接カウンセラーを送り込む対応もしてくれる。このサービスは獣医師の家族にも対応してくれるという有難さ。

 

 

 

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Photo by Fernando @cferdo on Unsplash

 

 

とにかくヤバいと思ったら誰かに相談して、精神科なりカウンセラーなりにお世話になれ、は耳にコブが出来るほど聞いてきました。精神疾患は病気ですので仕事は病欠扱いになるし、仕事を辞めることになってもある程度の保険が下りる。

自分を追い詰め過ぎないで、一線を越えたらその先にある劇薬に手を伸ばす前に吹っ切れて逃げ出す。これ大事ね。

 

誰が言ったか、逃げることを良しとしない考えがあるのはこの地球上の動物で人間種だけであるということを我々獣医が一番理解していなければならないと思うのです。

 

 

駄目なら逃げよう、動物だもの。

 

 

 

参考文献:

  • H JONES-FAIRNIE, P FERRONI, S SILBURN and D LAWRENCE (2008). Suicide in Australian veterinarians. Australian Veterinary Journal Volume 86, No 4
  • L Fritschi, D Morrison, A Shirangi and L Day (2009). Psychological well-being of Australian veterinarians. Australian Veterinary Journal Volume 87, No 3